ご無沙汰です。
いま、中目黒に人を送ってきたのですが、妙に裏通りに人が多いなぁ。と思っていたら、そういえば、もう桜が咲いていて、目黒川沿いのお店は書き入れ時ですねっ。わたしも、車窓からちらりと見える、目黒川の桜を愛でてきました。
今週末~来週末が山場ですな。
桜はまさに、刹那的です。
その帰り、もちろん駒沢通りを学芸大学方向に向かう訳ですが、祐天寺のあたりが大騒ぎでした。消防車も救急車も警察車両も勢ぞろい。たいした事ないと良いのですが。。。
そういえば、明日は3月の最終日曜日。と言う事で、EMPORIOカフェの3F、スタジオCAKEでは、恒例のフリーマーケットを開催いたします。not for sales Incorporated株式会社の地域社会貢献事業でもあるこの企画、ぜひたくさんの方々にご来場いただければと思っております。
話は戻りまして、
刹那的。。。良さそうな、悪そうな、両方の意味を持つ言葉ですねぇ。問題は、なにが?ってのと、どの基準で?って感じでしょうか。
桜の咲く、1~2週間も1年の長さから考えると刹那的と言えますし、人の一生も、人間というか、地球の歴史から考えると、かなり刹那的です。
まぁ、永遠がないのであれば、すべては刹那的であり、尺度の問題なのかもしれません。
現状、わたしが”終わり”を意識していないのは、会社の存続とそれに関する事だけで、あとは基本的に終りが来るものとして考えています。
もちろん、それぞれの事業に関しては、会社の存続同様、どこかで辞めるとか、終えるつもりでやっているものはないですが、だからと言って、出口をまったく考えていない訳でもなく、今後生まれる事業に関しては、終わり(出口)を意識して創るものも出てくると思います。まぁ、形を変えながら存続するような道を探りつつ、だとは思いますけども。
対象的に、私個人の場合は、限られた時間しか持ち合わせていないのですから、個人的な動きに関しては、全ての内容について、終わりの時を意識するようにしています。
たとえば、もちろんすぐにという訳ではないですが、会社は存続すれども、社長は変わると思いますし、変わらなければ存続できません。今日、こうしてブログを書いている時間でさえ、確実に残りの時間は減っている事を認識していますし。
そう考えると、人ひとりに与えられている時間というのも、刹那的と言えるかもしれませんね。
こんな事書きましたけど、別にいま、社長辞めるとか、僕がどうにかなるとか、そーゆーのじゃないですよー。
そーゆー事態になろうがなるまいが、そーゆー時は確実に来るので、それを意識して、今を生きる。って事が言いたいだけです。ホントに。
映画のタイトルみたいになっちゃった。