ご無沙汰しております。
「矛盾」と「パラドックス」を、一緒にしている人はいませんか?パラドックスの和訳が矛盾だと思っていたあなたっ!それは、間違いってもんです。
突然、なんの話か?とか、そーゆーのは、ナシで。
さて、矛盾とパラドックスの違いについてご説明します。
「矛盾」とは、これは知っての通り、真実ではない状態です。よーするに、あり得ない状態。字の由来のごとく、なんでも突き通す槍(ホコ)と、全ての槍を防げる盾は、世界に同時に存在できないって感じです。どちらか(または両方)が、ウソ(真実ではない)事を言っている状態ですね。
さて、一方のパラドックス。これは、矛盾ではなく”逆説”って感じです。
パラドックスは、矛盾よりも大きな概念で、かつ、その結果に至る過程になんらかの情報不足が存在している可能性を含む場合もあり、将来的にパラドックスではなくなる可能性もあったりします。
先日、こちらのブログでも紹介した「シュレーディンガーの猫」はひとつのパラドックスです。(2つの結果が同時に存在する事はあり得ない的な)でも、絶対的に矛盾しているかどうかは、現状不明です。
矛盾は、絶対的に両方が真である可能性がゼロであるのに対し、ゼロでないものも、感覚的になさそうなものも含んでいるのがパラドックスです。
まぁ、矛盾もパラドックスもごちゃ混ぜで使ってるのがほとんどなのですが、パラドックスは将来的に解決する可能性も含んでいる(かもしれない)点において、ちょっとゆるい感じです。
誕生日のパラドックスというのがあります。
23人の人が同じ部屋に集まった場合、おなじ誕生日の人が居合わせる確率が50%になります。
これは、感覚的にはパラドックスですが、論理的(数理的)にはパラドックスではありません。確率計算で証明できるので。(実際、そーなります。)
「シュレーディンガーの猫」の場合には、解釈の幅を広げる事によりパラドックスを解決しようとする試みが展開されています。多世界分岐とか、ちょっとイっちゃってる感じもしますが、アイデアとしては面白いですねー。
って、このブログ、面白いと思う人がどれくらいいるんでしょうか・・・?