コギト・エルゴ・スム cogito ergo sumは、デカルトの言葉ではないそうです。もともとはフランス語で、それをラテン語にした人が、みたいな流れだそうで。。。
と、そういう話はさておき、
哲学者である(一般的に)デカルトの思想や考えは、科学の範囲にまで及んでいたそうで、動いている物体は基本的に直線で動き続けるという考え方(慣性)は、ニュートン君以前に、デカルトが表現していたそうです。
と、そういう話もさておき、
物理学と哲学と、そして、芸術とか・・・。
現代は、いろいろカテゴリー別で考える地合いが強いですが、はたして、それだけで良いのかなぁ?と。
確かに、ひとつのカテゴリーもいろいろ奥深いと思いますので、相当な時間をひとつのカテゴリーの中の、そのまたひとつに投下する事も、非常に重要だと思います。
ただ、全員がそうしていて良い訳ではないんじゃないかな、と。
レオナルド・ダヴィンチが多才だったのは有名な話ですが、彼はそんなにいろいろ分けて考えていたのでしょうか?
たしかに、芸術でも科学でも建築でも、かなり凄いものを残してらっしゃる天才と言って良い一人だと思うのですが、彼の中では、全部つながっていたのではないかな?と。それぞれに、何かしらの関連性を見出していたような、そんな気がするのです。
なんでも来い!に、名人なし。とも言いますが、これからの時代、ひとつの道を究める人と同様かそれ以上に、いくつかの道を並行して進ませて、誰も発見できなそうな”関連性”の価値を見出す人も重要なのではないかな?と、
総合プロデュースを行っている会社の代表として思う訳です。
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