経営者でなくとも、さまざまなポジションの人が、常に判断を迫られます。
出来る限りの情報を集め、分析しても、絶対的な正解というのは、ビジネスの世界ではそうそう導き出せないものです。不確定要素を排除しきれないのですから、無理もありません。
それでもやはり必要なのは情報であり、それらを組み合わせ、未来を予想しようとする努力であり、正しく予想するために必要な知識と知性である。と、言えるでしょう。
常に、良い判断だった。と、結果が出てから思えるのがベストですが、なかなかそういうわけにもいきません。やはり、愚かな判断だった。と、認識させられる場合も多々あります。
なにもそれは、ビジネスに限ったことではなく、生きていれば直面する問題です。
「良い判断は経験から生まれる」という格言もあります。
やはり、いろいろな経験をしている人の判断は、頼りになる場合が多いです。やはり、経験を積んでいくことが、良い判断をするために必要なことなのだと思います。
それと同じような格言として、
「経験は、愚かな判断から得られる」というのがあります。愚かだったと思える判断で、つらく、痛い思いをする事=貴重な経験ということなのでしょう。
一種のパラドックスです。
愚かな判断こそが、良い判断を生むための道。ということになりますから。
ただ、判断に迷うからと言って、
なにも判断せず、なにも行動しなければ、それは経験という貴重なものをも遠ざけている結果になってしまい、傷つきもしない代わりに、良い判断をするための糧を失っている事につながります。
判断には勇気が必要です。
それが、良いにしろ、良くないにしろ。そして、判断したことを実行にうつす行動力も求められます。それを指させる精神力も。そして、良くない判断だった場合にもたらされる、さまざまな悪い結果を受け入れ、再び立ち上がるための力も求められます。
それらの勇気や精神力・力などが与えられるのは、自分の下した判断に責任を持つ人だけだと思います。
世の中には、確実に結果が決まっていることと、そうでないことがあります。絶対的に決まっていることであれば、立ち向かう意味がない。という事になりますが、それは本当でしょうか?
本当にそれが、絶対的な結果なのでしょうか?
だれもが「絶対に無理だ」と言うような偉業を成し遂げた偉人は、歴史上に多数存在します。きっと彼らは、無理だと思っていなかったのでしょう。だからこそ、多大な犠牲を払ってでも、それを達成したのだと思います。
少ない可能性かもしれません。
限りなく、ゼロに近いのかもしれません。
しかし、それが達成できたときに得られるものが大きければ大きいほど、わずかな可能性に賭けてみる価値はあるのではないでしょうか?
それに、相当な苦労が伴うとしても。です。

